大阪メトロ 路線・駅 開業の歴史まとめ

大阪メトロ
  1. 1970年代
      1. 25. 1970/2/24 御堂筋線 江坂~新大阪
      2. 26. 1970/2/24 北大阪急行線 江坂~万国博中央口
      3. 27. 1970/3/11 千日前線 桜川~谷町九丁目
      4. 28. 1970/9/14 北大阪急行線 万国博中央口廃止
      5. 29. 1970/9/14 北大阪急行線 千里中央本駅開業
      6. 30. 1972/11/9 四つ橋線 玉出~住之江公園
      7. 31. 1974/5/29 谷町線 都島~東梅田
      8. 32. 1975/3/30 北大阪急行線 緑地公園駅
      9. 33. 1977/4/6 谷町線 守口~都島
  2. 1980年代
      1. 34. 1980/11/27 谷町線 天王寺~八尾南
      2. 35. 1981/3/16 南港ポートタウン線(ニュートラム) 中ふ頭~住之江公園
      3. 36. 1981/12/2 千日前線 新深江~南巽
      4. 37. 1983/2/8 谷町線 大日~守口
      5. 38. 1985/4/5 中央線 深江橋~長田
      6. 39. 1986/10/1 近鉄東大阪線 長田~生駒
      7. 40. 1987/4/18 御堂筋線 我孫子~中百舌鳥
  3. 1990年代
      1. 41. 1990/3/20 鶴見緑地線 京橋~鶴見緑地
      2. 42. 1993/3/4 堺筋線 動物園前~天下茶屋
      3. 43. 1996/12/11 長堀鶴見緑地線 心斎橋~京橋
      4. 44. 1997/12/18 OTSテクノポート線 大阪港~コスモスクエア
      5. 45. 1997/12/18 OTSニュートラムテクノポート線 コスモスクエア~中ふ頭
      6. 46. 1997/8/29 長堀鶴見緑地線 大正~心斎橋
      7. 47. 1997/8/29 長堀鶴見緑地線 鶴見緑地~門真南
  4. 2000年代
      1. 48. 2006/3/27 近鉄けいはんな線 生駒~学研奈良登美ヶ丘
      2. 49. 2006/12/24 今里筋線 井高野~今里
  5. 今後の鉄道イベント情報(鉄道コムより)

1970年代

25. 1970/2/24 御堂筋線 江坂~新大阪

26. 1970/2/24 北大阪急行線 江坂~万国博中央口

その「万国博中央口」という名の通り、EXPO’70 大阪万博へのメインアクセスルートとして、また千里ニュータウンから都心への通勤通学路線として開通。御堂筋線と北大阪急行線は相互直通運転を行っています。江坂駅は地下鉄初の大阪市外の駅で、吹田市にあります。千里中央駅は現在の位置ではなく中国自動車道上に仮駅として設置されていました。

江坂・桃山台・万国博中央口は吹田市、千里中央駅は豊中市に位置するため、当時大阪市が運営していた地下鉄は江坂以北の市外への延伸は消極的。それでも万博へのアクセス路線を確保したい大阪府が阪急などと出資して設立された第三セクター会社が北大阪急行電鉄なのです。なお、千里中央~万国博中央口間はすでに建設が決まっていた中国自動車道上り線の土地を万博の開催期間だけ借りる形で使用されました。大阪万博の開幕日は同年3月15日です。

27. 1970/3/11 千日前線 桜川~谷町九丁目

近鉄・阪神が同区間に路線を建設する計画を立てていたことから、難波駅は近鉄と一体で建設されました。ただし阪神が難波の地へ足を踏み入れるようになるのは39年も後のこと…。

千日前線の方が近鉄よりも4日早く開業しています。つまり、近鉄難波線の開業日は3月15日であり、大阪万博の開幕日なんですね。

28. 1970/9/14 北大阪急行線 万国博中央口廃止

29. 1970/9/14 北大阪急行線 千里中央本駅開業

千里中央・万国博中央口駅は同年9月13日の大阪万博の閉幕に伴い廃止されました。しかし、千里中央駅は仮駅が廃止されただけで、現在の位置にある本駅が同日より使用開始され、終着駅となっています。なお千里中央本駅自体は北大阪急行線の開業時点で完成していました。

30. 1972/11/9 四つ橋線 玉出~住之江公園

これにて四つ橋線は全通となります。元々堺市側への延伸も計画していましたが、玉出から直進し国道26号線を南下するルートだとあまりにも南海線と接近していることから南海から猛反対を受け、当時発展が予想されていた住之江地域を迂回し、堺・大浜までの延伸ルートに変更したそう。それにより発生したのが玉出の急カーブです。もっと詳細な地図を見ると、がっつり民家の下を走っていることが分かります。

堺方面への延伸計画ですが、現在のところ住之江公園より先の延伸計画は免許の失効から白紙になっていると考えられます。

31. 1974/5/29 谷町線 都島~東梅田

1970年4月8日、この区間である天神橋筋六丁目付近の工事中にガス爆発事故が起こりました。死者79名負傷者420名にも及ぶ大事故でした。それにより工事は1年半遅れることとなりました。

32. 1975/3/30 北大阪急行線 緑地公園駅

駅自体は北大阪急行線開業時点で完成していましたが、5年遅れての開業となりました。その理由としては、駅周辺の区画整理の進捗状況に合わせたためだとか、 ニュータウン鉄道の補助金を受けるにはニュータウン内の駅(桃山台)を出て1駅目(開業時点では江坂)までしか交付されないためだったとか…。真相は闇の中へ…。

33. 1977/4/6 谷町線 守口~都島

元々谷町線は大阪市北東部と都心をつなぐ使命を持って計画されていました。まさしくそれがこの区間になります。また、この区間の開業と同時に大日検車場の使用も開始されました。(大日駅の開業はまだ先になります。)

1970年代の路線図

1980年代

34. 1980/11/27 谷町線 天王寺~八尾南

大阪市南東部の住宅開発が進み、その輸送需要に対応するために延伸が計画されました。阿倍野~喜連瓜破間は阪神高速道路14号松原線の直下を進むため、地下鉄トンネルを高速道路の基礎部分に組み込む形の一体構造で建設されました。また、この区間の開業に伴って阿倍野~平野駅手前の同区間を運行していた南海平野線が翌日11月28日に廃止されます。八尾南駅は、大阪市外(八尾市)の駅かつ地上駅で、北側には八尾検車区が設置されているという大阪メトロの駅の中でもかなり特徴的な駅になっています。

35. 1981/3/16 南港ポートタウン線(ニュートラム) 中ふ頭~住之江公園

大阪南港・咲洲に造られた住宅団地「大阪南港ポートタウン」やフェリーターミナルへの交通手段として開業されました。全線が高架区間になっています。また、中ふ頭駅西側に南港検車場が設置されています。

36. 1981/12/2 千日前線 新深江~南巽

これにて千日前線は全通し、現在の形になります。平野や弥刀・河内山本方面への延伸計画があったため分岐地点として南巽駅までが開業したのでしょうか?調べてもよくわかりませんでした。

37. 1983/2/8 谷町線 大日~守口

守口駅と同じく守口市の駅になります。㉝守口~都島間の延伸時に大日検車場が設置されたと書きましたが、その時点で大日までのトンネルは大方完成しており、大日駅の設置準備はされていたそう。これにて谷町線は全通し現在の形になります。

38. 1985/4/5 中央線 深江橋~長田

石切方面への延伸計画に基づいて開業。(近鉄・京阪・地下鉄など複雑な思惑が交わりに交わり、最終的に)長田までは中央線、長田以東は近鉄が建設し、相互直通運転を行うことが決まりました。新設された高井田・長田は両駅ともに東大阪市の駅になります。

39. 1986/10/1 近鉄東大阪線 長田~生駒

建設経緯は㊳の通りです。これにより”大阪市営”地下鉄(大阪メトロに民営化する前)で奈良県にまで行けるようになりました。新石切~生駒間は生駒山を東西に貫く生駒トンネルを通りますが、このトンネルは近鉄奈良線の旧生駒トンネルを一部を拡幅・再利用して建設されました。

40. 1987/4/18 御堂筋線 我孫子~中百舌鳥

元々は堺筋線が中百舌鳥まで延伸する計画だったようですが、御堂筋線10両編成化計画に伴い我孫子検車場に代わる新検車場の設置場所を検討していた地下鉄が、堺市からの提案を受け堺市内に検車場新設と御堂筋線を延伸する計画に変更されたそう。その検車場が中百舌鳥検車場です。北花田・新金岡・なかもず駅はいずれも堺市の駅になります。また、 これにて御堂筋線は全通し現在の形になります。

1980年代の路線図

1990年代

41. 1990/3/20 鶴見緑地線 京橋~鶴見緑地

まだ長堀通を通っていないので、「鶴見緑地線」です。

大阪市都島区・城東区・鶴見区の人口増による近隣路線の京阪線・JR 学研都市線の混雑を緩和すること、また 鶴見緑地にて開催が決定した「国際花と緑の博覧会(花博)」へのアクセス路線とすることを目的に開業。当時は他の地下鉄線と連絡していませんでした。

42. 1993/3/4 堺筋線 動物園前~天下茶屋

㊵でも紹介しましたが、堺筋線は中百舌鳥まで延伸する計画でした。しかし御堂筋線がその役割を肩代わりしたため、堺筋線延伸計画の一部である天下茶屋までの延伸になりました。元々この区間は南海天王寺支線が走行していましたが、堺筋線用地確保・南海天下茶屋駅高架化のために1984年11月18日に一部廃止され、残る区間も堺筋線延伸後の1993年4月1日に廃止されました。 これにて堺筋線は全通し現在の形になります。

43. 1996/12/11 長堀鶴見緑地線 心斎橋~京橋

京橋から長堀通まで南下する区間は大阪府庁の隣接する上町筋(つまり大阪城の西側)を通る計画もあったそうですが、大阪城外壁・難波宮の埋設物等による工事遅延・費用増加の懸念から現在の大阪環状線に並行するルートが採用されたそう。また、この区間の開通と同時に、路線名称が「鶴見緑地線」から「長堀鶴見緑地線」へと変更されました。

44. 1997/12/18 OTSテクノポート線 大阪港~コスモスクエア

45. 1997/12/18 OTSニュートラムテクノポート線 コスモスクエア~中ふ頭

当時、鉄道で南港に行くには住之江公園から南港ポートタウン線を経由する必要があるために大変不便で南港への企業誘致がうまく進まず、そこで計画されたのがこの路線です。公共交通ではなく利益誘導だとして国の補助金がおりず、第三セクターである大阪港トランスポートシステムが建設・運営し、OTSテクノポート線は中央線と、OTSニュートラムテクノポート線は南港ポートタウン線と相互直通運転こととなった。当初の予定では 大阪港~中ふ頭の全区間をニュートラムで結ぶ計画だったが、 イベントなどの輸送需要を勘案して現在の形になっている。

なお、この区間は地下鉄とは別運賃のため割高で利用客が低迷。 2005年7月1日に大阪市交通局へ線路以外の鉄道施設・車両を譲渡し、 OTSテクノポート線は中央線に、OTSニュートラムテクノポート線は南港ポートタウン線に編入されている。

46. 1997/8/29 長堀鶴見緑地線 大正~心斎橋

47. 1997/8/29 長堀鶴見緑地線 鶴見緑地~門真南

これにて長堀鶴見緑地線は全通し現在の形になります。 門真南は「なみはやドーム(現 東和薬品RACTABドーム)」での 第52回国民体育大会(なみはや国体) 開幕に合わせて開業されました。門真南駅は駅名の通り門真市の駅となります。

またドーム前千代崎駅は「大阪ドーム前千代崎」でした。ドームとドームをつなぐ路線…。

1990年代の路線図

2000年代

48. 2006/3/27 近鉄けいはんな線 生駒~学研奈良登美ヶ丘

大阪と関西文化学術研究都市(学研都市) を接続する目的のため近鉄東大阪線を延伸する形で開業。開業と同時に路線名を「けいはんな線」へと改称されました。また、中央線とけいはんな線をまとめて「ゆめはんな」と称した路線名をプッシュしていましたが、定着すること無くいつのまにか死後に…

49. 2006/12/24 今里筋線 井高野~今里

都心部から放射状に伸びる各路線を連絡して都心を通らない路線として上新庄~湯里六丁目間が計画され、南端はその途中にある今里、北端は上新庄から(なぜか)少しそれて井高野まで開業されました。谷町線との連絡駅でもある太子橋今市駅は守口市の駅になります。

これにて終了です!いかがでしたでしょうか。ちなみに管理人が産まれたのは㊼と㊽の間なのでほとんど全部が大昔の話のようでした。その中でも60年代の地下鉄がバンバン開業・延伸していた時期というのは本当に想像がつかないというか、そんな時代に生きていた鉄道ファンは幸せだろうなあと思う管理人でした。

今後の鉄道イベント情報(鉄道コムより)

[event ]

コメント

  1. […] 【歴史】大阪メトロの変遷を辿る! […]

タイトルとURLをコピーしました