近鉄新石切駅は、1986(昭和61)年10月1日に東大阪線長田駅~生駒駅間開通と同時に開業。現在は路線名変更を経てけいはんな線の駅として活躍しています。
けいはんな線の駅としては大阪最東の駅で、駅東側には奈良県境にそびえる生駒山脈を貫く新生駒トンネルが見えます。
また開業当時より大阪メトロ中央線と相互直通を行っているため、近鉄の車両だけでなく大阪メトロの車両も頻繁に見ることができる面白い駅です。
そんな新石切駅は、けいはんな線では唯一3番線までホームがある駅としても有名。二面三線で中央の2番線が2つのホームに挟まれる構造となっています。また2番線は上下線の両方から分岐しているため、どちらからも進入できるようになっています。
今回の話題はこの2番線についてです。
2番線は2つのホームに挟まれる構造となっていると言いましたが、1番線側のホームからは乗り降りすることができません。
新石切駅2番線に両側から入れない理由
新石切駅が3線になったのは
新石切駅が3線の駅なのは、けいはんな線に「急行運転」計画があったからだそうです。新石切駅に待避線を設置して列車の追い越しを行う駅に使用としていたようです。
しかし実際のところ、急行運転は実施せず…。
そのため営業列車で2番線が使われたことは未だにありません。ただし回送や試運転の列車が使用することはあります。
ホームを見ても2番線の案内はありません。
ちなみに2番線の発車標は「調整中」という張り紙が貼られていました。
普段から使用されていないことがよく分かる写真です。
大阪メトロと相互直通すると変わること
新石切駅は近鉄の駅ですが、他の近鉄の駅とは異彩を放つ駅です。さらに言うとけいはんな線自体が他路線と異なります。
その大きな要素はけいはんな線「第三軌条方式」という集電方式を採用していることです。走行用レールの外側に設置した給電用レール(第三軌条、サードレール)から
主に近鉄の電車は、線路上の電線(架線)を流れる電気を車両上のパンタグラフなどを用いて集電する「架線集電方式」を採用しています。
この集電方式が違うことで、専用の車両を造らないといけなくなったり、奈良線など他路線と直通運転ができなかったり、重要部検査の時にいろいろ機器を外して事業用電車に牽引してもらう必要があったり…とご不便をかけているわけです。
なぜそんな不便な第三軌条方式をわざわざ採用しているのかというと、第三軌条方式の大阪メトロ中央線と相互直通運転を行っているからです。
すでに営業されている中央線を延伸するような形でけいはんな線の建設が決まったため、様々な設計仕様を中央線に合わせる必要があったんですね。そのためこれまでの路線で採用していた架空電線方式ではなく第三軌条方式で建設されました。
(逆に大阪メトロ堺筋線は、阪急と直通運転する前提で建設されたため、これまでの路線で採用していた第三軌条方式ではなく架空電線方式で建設されています。)
新石切駅2番線に両側から入れない理由
簡潔に言うと、先ほど書いた第三軌条が原因です。
第三軌条は「こわいでんき」が流れているレール。750Vの電圧がかかっています。いかにも重い車両たちを(設計上は)最高時速95kmで走り抜けるようにするほどの電圧と考えれば想像できるかと思いますが、人間が第三軌条に接触したら感電事故になります。
下の画像のような「こわいでんき」の警告看板も設置されているくらいです。危険性はよくわかると思います。
電車を走らせるためには、第三軌条を走行用レールの左右どちらかの外側に必ず設置する必要があります。
つまり、新石切駅2番線においてはどちらかのホーム真下に第三軌条を設置しなければいけないわけです。
第三軌条方式の東京メトロ銀座線の上野検車区前踏切では、第三軌条は設置されていません。そのため踏切を通過する際には惰性運転を行うそう。
新石切駅を見ると、生駒方面1番線がある側のホーム下に第三軌条があることが確認できます。
そのため第三軌条の直上のホームには柵が設けられているわけです。
ということは、もし急行運転を行ったとしてもコスモスクエア方面での列車の追い越しにしか使用するつもりはなかったのか、という疑問も浮かんできます。
しかしそれでは生駒方面の分岐器は要らないのでは?とも思ってしまいます。コスモ側分岐器はトンネル手前で折り返すのに使用することもあるかと思いますが、生駒側分岐器なんて使うことあるのでしょうか…。
また視点を変えると、あの高さの柵で事足りるなら、大阪メトロ型の可動式ホーム柵(ホームドア)を設置すれば両ホームから乗降可能なのではないかとも考えたりもできます。これは事例がない(?分かりません)ため実現できるのか素人には考えようがないですがどうですかね。
参考文献
湯川徹二「大阪市地下鉄の趣味的興味」,鉄道ピクトリアル,2004,第54巻第3号(通算744号),pp.124-131.
コメント