大阪メトロの駅名を変更した駅いくつ分かる?
今回は駅名が変更された例だけを紹介します!(「漢字→ひらがな」のような変更には触れません)
それでは、日付順に見ていきますよ!!
信濃橋駅→本町駅(四つ橋線)
1965(昭和40)年10月1日、四つ橋線の西梅田駅~大国町駅間の延伸時に開業した駅の1つです。
信濃橋の由来は西横堀川に架けられていた信濃橋から。西横堀川は阪神高速道路の建設のために埋められてしまったため、現在は橋の姿はなく、顕彰碑をのこすのみです。ちなみに西横堀川の埋め立ては昭和39~46年(1964~1971)に行われたため、駅開業時点で既に埋め立ては始まっていたようです。
そして開業から約4年が経過した1969(昭和44)年12月6日、信濃橋駅から本町駅に改称されました。
その理由は、仮駅で開業した中央線本町駅の本駅が完成したことを機に御堂筋線、四つ橋線、中央線の3つのホームが改札内で乗り換えできるようになったためです。乗り換えの際に乗換駅だと分かるように、信濃橋駅から本町駅に改称・統一されたのでした。
駅名が変わったのは本町本駅開業日ではなく、中央線本町駅〜谷町四丁目駅間が開業した日が正確な日だそう。
ネットで情報が錯綜していますが、延伸日(1969(昭和44)年12月6日)が正確な日付です。
最近気になっていることが1つありまして…、「信濃橋駅は開業時から中央線本町(仮)駅とは改札内連絡が可能だったのかどうか」です。中央線⇔御堂筋線は中央線本町(本)駅開業時に改札内連絡可能になったという文献はよく見るのですが、中央線⇔四ツ橋線はいつから改札内連絡可能になったのかよく分かっていません。なにかご存じの方がいらっしゃれば是非教えていただきたいです。
実は開業当初から信濃橋駅と中央線本町仮駅は乗り換え出来るようになっていました。最初から本町でよかったのでは…?
詳しくはこちらの記事にまとめています!
なんば元町駅→なんば駅(四つ橋線)
1965(昭和40)年10月1日、四つ橋線の西梅田駅~大国町駅間の延伸時に開業した駅です。先に書いておくと、本町と同じような経緯で改称した駅です。
元町はこの駅の住所にもなっている地名です。「なんば元町」は複合地名というよりは、「なんば(の中にある)元町」という認識でいいと思います。
開業から約5年後の1970(昭和45)年3月11日、なんば元町駅はなんば駅に改称。
千日前線なんば駅が開業したことで、御堂筋線、四つ橋線、千日前線のホームが改札内で連絡できるようになりました。そのため駅名を統一することにしたようです。
余談ですが、なんば元町駅の建設時の仮称は「西難波」だったそう。そのためか西梅田駅~大国町駅間が開業する前段階で、50系車両の方向幕には「西なんば」表記があったそうですよ。
関目駅→関目高殿駅(谷町線)
1977(昭和52)年4月6日、谷町線の都島駅〜守口駅間の延伸時に開業した駅です。
ある時期から車内放送で「関目、関目、高殿」と案内されるようになり、駅名の表示も「関目(高殿)」と表示されるようになり、少しづつ高殿が存在感を示すようになります。
そして待望の駅名改称が1997(平成9)年8月29日に行われました。長堀鶴見緑地線の大正駅~心斎橋駅間、鶴見緑地駅~門真南駅間の延伸開業した日に合わせて変更されています。
名称変更後の関目高殿は、関目と高殿の複合駅名となります。
ちなみに「関目」は駅南東に位置した城東区の地域名。後に駅名に含まれるようになった「高殿」は駅北に位置した旭区の地域名です。
2004年に開業した今里筋線「関目成育駅」と駅名変更は全く関係ありません。関目高殿駅となったのは、駅開業から約20年後の1997年8月29日で、今里筋線開業から7年も前の話です。
ちなみに今里筋線の開業前の仮称駅名も「関目」駅でした。
都島駅~守口駅間開業時に多用されたサインシステム「守口サイン」が特徴的な出入口です。
四天王寺前駅→四天王寺前夕陽ヶ丘駅(谷町線)
1968(昭和43)年12月17日、谷町線の谷町四丁目駅~天王寺駅間の延伸時に開業した駅です。
驚くべきことに、建設時の仮称駅名は「夕陽ヶ丘駅」なのです。この由来は駅西側の地名でもある夕陽ヶ丘町からきています。
しかし「四天王寺前駅」を推す派閥が市会議員を巻き込んで駅名変更を求めた結果、運輸省に申請時には「四天王寺前駅」となりそのまま開業に至ったそう。
しかし「夕陽ヶ丘駅」派閥もそれに負けずに駅名変更を求めていたそうで、「夕陽ヶ丘四天王寺前」という案も出たそうです。しかし現代では違和感なく採用されるようになった長すぎる駅名ですが当時は珍しいもので採用は見送られたとのこと。しかし関目駅のように「四天王寺前(夕陽ヶ丘)駅」としてしばらくは使われるようになりました。
変更したのは関目高殿駅と同じく1997(平成9)年8月29日で、駅開業から約29年後のことでした。
ちょうどこの日は長い駅名の「大阪ドーム前千代崎駅」が開業した日でもあります。さらに「大阪ビジネスパーク駅」なんて駅名も既にありましたから、長い駅名も当たり前となったということで駅名変更の判断がなされたのだろうと管理人は推測しています。
…に加えて、Osaka Subway.comさんが大阪市交通局広報の方にこの理由を尋ねていたようです。
つまりこの機(長堀鶴見緑地線が全通するこの機会)を逃すと(当時の予定では)しばらく地図なども更新されることがないので、駅名改称されるチャンスがない、ということでした。
出典:Osaka Subway.com「【特集】四天王寺前夕陽ヶ丘とかいう超長い駅名の由来について本気になって調べてみた」(赤字は筆者)
今里筋線の着工がまだ決まっていなかった当時は、長堀鶴見緑地線の全通が最後の路線図更新のチャンスだった。そのため地域住民の意見を汲み取って、駅名を変えることになったそうです。
以前紹介した、西長堀駅に残る24年前の運賃表にも、関目駅と四天王寺前駅の表記が残っています。
大阪ドーム前千代崎駅→ドーム前千代崎駅(長堀鶴見緑地線)
1997(平成9)年8月29日、長堀鶴見緑地線の大正駅~心斎橋駅間の延伸時に開業した駅です。まだ開業から25年しか経っていませんが、すでに改称しています。
現在の駅名に改称されたのは駅開業から9年後の2006(平成18)年12月24日。
今里筋線の開業日に合わせて「ドーム前千代崎」に改称しました。「大阪」が抜けただけですが、駅名変更の理由は大阪ドームの改称。京セラにドームのネーミングライツが売却されたため「大阪ドーム」から「京セラドーム大阪」に改称したのです。
ちなみに長堀鶴見緑地線は路線名も開業に一度だけ改称しています。開業時(1990年3月)の路線名は「鶴見緑地線」で、「長堀」は付いていませんでした。
というのも、最初に開業した区間が京橋駅~鶴見緑地駅間で、長堀通の地下を通っていなかったのです。当然「長堀」と付くわけはなく、鶴見緑地へのアクセス路線ということで「鶴見緑地線」という路線名で開業しました。
心斎橋駅~京橋駅間の延伸時(1996年12月)に長堀通の地下も通るようになったことから、また既存路線の全ての愛称が道路名から取られていたことから、「長堀」が追加されました。
(おまけ)緑木町検車場→緑木検車場
1972(昭和47)年11月09日、四つ橋線の玉出駅〜住之江公園駅間の延伸時に開設したのが、緑木町検車場。現在の名称は「緑木検車場」です。
緑木町検車場は四つ橋線専用の検車場として開設。その後、御堂筋線の10両化で我孫子車両工場となったため緑木に車両工場を移設。緑木車両工場を開設し、四つ橋線の全検査に加えて御堂筋線の大規模検査を行うようになりました。現在は森之宮車両工場の役目も統合して、第三軌条方式の全路線(御堂筋線、谷町線、四つ橋線、中央線、千日前線)の大規模検査も行っています。
そんな緑木町検車場の名前が変わったのは、開設から14年後の1986(昭和61)年06月01日。我孫子から移設した緑木車両工場が開設したタイミングでした。
改称理由は住所が変わったためです。開設当初の住所は住吉区緑木町であったため緑木町検車場と称していました。1974(昭和49)年7月22日に住吉区から分離して住之江区が新設され、検車場は住之江区所属となりました。以後の住所は住之江区緑木となり「町」が抜けたため名称も変更したようです。
動画もあります!
参考文献
石本隆一「大阪の地下鉄」,1999,産調出版.
Osaka Subway.com「【特集】四天王寺前夕陽ヶ丘とかいう超長い駅名の由来について本気になって調べてみた」(2022.02.06閲覧).
林保正「大阪市地下鉄第7号線心斎橋ー京橋間建設概要」,鉄道ピクトリアル,1997,第47巻第1号(通算631号),pp.90-92.
大阪市交通局「大阪市地下鉄建設五十年史」1983.
大阪市交通局「大阪市交通局百年史(本編)」2005.
大阪市交通局「高速鉄道 西梅田↔️大国町 開通記念」1965.
大阪市交通局「高速鉄道 谷町四↔️天王寺 開通記念」1968.
大阪市交通局「地下鉄谷町線 都島↔️守口 開通記念」1977.
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