みなさんは大阪メトロの駅で「信濃橋駅」をご存じでしょうか。
現在の路線図を探してもどこにも見つかりません。というのも、信濃橋駅は四つ橋線本町駅開業当初の駅名なのです。
なぜ本町駅に改称したのか。信濃橋駅の存在を知っている方ならご存じかと思います。
その他、駅名そのものが改称された例としては、四つ橋線の信濃橋(現本町)と難波元町(現難波)がある。これは、それぞれ中央線と千日前線の開業に合わせて、御堂筋線と改札内連絡となるときに改称された。
石本隆一「大阪の地下鉄」,1999,p.111.
「本町駅と信濃橋駅が乗換駅」というのは不親切なので、駅名を統一しようということですね。そこで本町駅に揃えることになったわけです。
では本町駅と改称する前は、信濃橋駅は単独駅(乗り換えがない駅)だったのか。
その答えはノー。
実は信濃橋駅は開業時点で乗換駅だったのです。
???と思われる方も多いでしょうが、今回はこれを深堀りしていきましょう。
信濃橋駅から本町駅になるまで
信濃橋駅・本町駅に関する出来事
信濃橋駅・本町駅と大きく関わってくるのは御堂筋線・四つ橋線・中央線の3路線です。まずは3路線の本町駅に関する出来事を見てください。
日時 | 路線 | 出来事 | その他 |
---|---|---|---|
1933(S08).05.20 | 1 御堂筋線 | 本町駅開業 (梅田~心斎橋間開業) | |
1964(S39).10.31 | 4 中央線 | 本町駅(仮駅)開業 (弁天町~本町(仮)間開業) | 御堂筋線本町駅とは地上連絡 |
1965(S40).10.01 | 3 四つ橋線 | 信濃橋駅開業 (西梅田~大国町間開業) | 御堂筋線・中央線本町駅とは???連絡 ???に本町駅に改称 |
1969(S44).07.01 | 4 中央線 | 本町駅(本駅)完成 | 御堂筋線・四つ橋線・中央線が改札内外ともに、地下道にて接続される |
1969(S44).12.06 | 4 中央線 | 本町~谷町四丁目間開業 | 中央線ホームが途中駅となる |
約90年前に御堂筋線の本町駅が開業しました。
その次に開業したのは中央線の本町駅でした。ただし中央線の本町駅は、御堂筋付近の立ち退きが遅れたために仮駅として開業することになります。仮駅の位置は四つ橋筋と西横堀川(現 阪神高速1号環状線)の間で、当時の2駅は地下では繋がっておらず、改札を出て地上を歩いて乗り換える必要がありました。
翌年、大国町から西梅田まで延伸した四つ橋線のホームの1つに信濃橋駅がありました。信濃橋駅の南端では中央線と立体交差しており、本町仮駅とは目と鼻の先の駅でした。
2つの疑問
ここで管理人が気になった点は二つ。
- 信濃橋駅が改称されたタイミングはいつか
- 信濃橋と中央線 本町駅がいつから乗換駅となったのか
1.に関しては2.を調べている際に気づいた副産物なので、軽く紹介していきます。
問題は2.の方です。御堂筋線・中央線の乗り換えの話はいろいろな文献に載っているのです。徒歩連絡は大阪市営地下鉄の長い歴史の中でも唯一の出来事ですし、開業時から常に輸送の中心であった御堂筋線との連絡はとても重要な話ですからね。
しかし四つ橋線と中央線の乗り換えについてはなかなか書いている文献がありません。そこが管理人の気になったポイントでした。
中央線本町本駅に関する文献を見ると「御堂筋線・四つ橋線・中央線が改札内連絡できるようになった」的な趣旨の記述がよく見られます。しかしそれは御堂節線、四つ橋線、中央線の3路線が「全て」繋がったタイミングを指しているのであって、四つ橋線と中央線はもっと早く繋がっている可能性もあったのではないかと思ったのです。
ということで、この2点についてさらに調べていきました。
信濃橋駅の謎
信濃橋駅が改称したのはいつなのか
Wikipedia(2022.02.21閲覧)や大阪メトロ公式YouTubeの動画を見ると、中央線 本町本駅が開業した1969(昭和44)年7月1日だとされています。
しかし、岩村潔著「大阪市地下鉄の歩み」を読むと次のような記述があります。
堺筋線、中央線の同時開通を機会に従来大阪地下鉄は号線呼称をしていたが愛称(ペットネーム)で呼称することになった。
岩村潔「大阪市地下鉄の歩み」,1970,p.751(太字・マーカーは管理人)
(中略)
また中央線全通を機会に従来四つ橋線(三号線)の信濃橋停留場名を四つ橋線本町と呼称するよう変更された。御堂筋線、中央線、四つ橋線が三つの停留場によって地下でコの字形に連結されたので名称を統一するためこのような処置がとられた。
この書籍では中央線が全通した時期は、「1969(昭和44)年12月6日の本町~谷町四丁目間開業時」ということで話が進んでいます。これは前段落の堺筋線・中央線の同時開通(これも1969(昭和44)年12月6日)の話と並列して書かれていることからも分かります。
つまり、岩村潔著「大阪市地下鉄の歩み」では信濃橋駅が改称したのは1969(昭和44)年12月6日ということになります。
ちなみに全通というのは、東西で分断されていた中央線が繋がったということを指しています。
中央線が分断されていた話についてはこちらから!
信濃橋駅の改称時期に関しては2つの説があることが分かりました。どちらがより信頼できるのかということですが、個人的には後者の1969(昭和44)年12月6日説を推します。
著者の岩村氏は大阪市職員で地下鉄建設に携わった人物です。さらにこの著書は岩村氏が携わった地下鉄建設工事の記録を編集したもの。歴史をその目で見てきた方の著書を信頼しないわけにはいきません。
さらにこれを裏付ける証拠として、交通局ニュース「大阪のあし」46号(1969年9月発行)を見ていただきます。
1969年9月は、本町本駅が開業しており、中央線全通はまだしていない時期です。
本町駅と信濃橋駅が乗換駅なのに共存している時期があったことが分かるかと思います。
ということで当ブログでは、信濃橋駅が本町駅に改称したのは1969(昭和44)年12月6日ということにします。
信濃橋駅は最初から乗換駅だった!?
ここからが本題。
信濃橋駅はいつから乗り換えできるようになったのか。
四つ橋線 西梅田延伸時の路線図を見ると、信濃橋駅は完全に独立しています。
面白かったのは、四つ橋線西梅田駅~大国町駅間が開通した時期の路線図では、信濃橋駅と本町両駅の間には明確な間隔が空いていることです。
さらに言うとなんば元町駅も千日前線には重ならないように配置されていますね。
しかし、大阪市地下鉄建設五十年史には次のような記述がありました。
しかし、西横堀川から御堂筋までの立ち退き交渉が難航し、とうてい開通までに本町駅を作ることは出来ない情勢になってきた。そこで計画を一部変更して、四ツ橋筋から西横堀川の線路部に、2両編成の列車が発着出来るような仮駅を設置し、第3号線の本町駅と連絡した。
大阪市交通局「大阪市地下鉄建設五十年史」,p.143.(太字・マーカーは管理人)
「第3号線の本町駅」とは四つ橋線の信濃橋駅のことです。この書籍では信濃橋駅・本町駅の区別を付けずに本町駅で統一されています。
ここから分かる通り、本町本駅が開業する前から、四つ橋線と中央線は乗り換えができるようになっていたようです。
こちらも裏付けるものをもう一つご紹介。
関西の鉄道 No.45にこのような写真が掲載されています。
信濃橋の駅名標が確認できます。下の段に、「地下鉄 4号線連絡口」「弁天町 大阪港 方面のりば」と書かれていますね。
この雑誌によると撮影日はS40.10.3.。信濃橋駅が開業して3日目ですね。
信濃橋駅は開業当初から中央線 本町仮駅と接続していたようです。
ということで、本町駅同士は改札内乗換が出来なかったのに、信濃橋駅と本町仮駅は乗り換え出来たという謎な状況が発生していたわけです。
「最初から本町駅でよかったやん!」「四つ橋線延伸決まった時点で本町駅に組み込まれるのは分かってたんちゃうの?」というツッコミは今回は触れませんよ!調べても全然分からなかったので今回は勘弁してください!
また何か分かれば記事にしたいと思います!
引用・参考文献
大阪市交通局「大阪市地下鉄建設五十年史」,1983.
大阪市交通局「大阪のあし No.46」,1969.
関西鉄道研究会「関西の鉄道 No.45」,2003.
石本隆一「大阪の地下鉄」,1999,産徴出版.
岩村潔「大阪市地下鉄の歩み」,1970,市政新聞社
Wikipedia日本語版「本町駅」2022.02.21閲覧.
Osaka Metro公式チャンネル「「Metro News」vol.68 「信濃橋駅」「なんば元町駅」こんな駅ありましたっけ?」YouTube,2021.04.08公開.
コメント
大阪市交通局中央線時代の本町仮駅から阿波座駅までは単線区間でしたかとのことですが教えてください、