大阪メトロの終着駅だった期間が短い駅BEST5
第5位 森ノ宮(中央線)303日
- 1965(S40)年
1月21日「谷町四丁目~森ノ宮」間の建設工事に着手。 - 1966(S41)年
1月10日「森ノ宮~深江橋(西半分)」間の建設工事に着手。 - 1967(S42)年
9月30日「谷町四丁目~森ノ宮」間の開通により、森ノ宮駅が終着駅として開業。すでに開業していた「大阪港~本町」間とは独立して開業。ただし今後接続する計画があったため、どちらも4号線扱い。
- 1968(S43)年
7月29日「森ノ宮~深江橋」間が開通。森ノ宮駅は途中駅となる。
終着駅だった期間は約10か月の303日です!
年表を見ても分かる通りですが、森ノ宮駅開業以前から延伸部(~深江橋)の工事は始まっており、その点からも暫定的な駅であったことは分かります。
「谷町四丁目~森ノ宮」間が優先的に着手されたのは、この区間がすでに開業していた谷町線の車庫連絡線を兼ねていたからです。
開業当初の谷町線は森之宮検車場を車庫として使用していました(現在は大日検車場と八尾車庫を使用)。谷町線は既に「東梅田~谷町四丁目」間が開業しており、中央線・森之宮検車場が開業するまでは、谷町四丁目駅南に仮設の谷町検車場を設けて対応していました。そのため中央線「谷町四丁目~森ノ宮」間が優先的に着手されたのです。
この区間については、他の記事でもクローズアップしています!
第4位 昭和町(御堂筋線)290日
- 1938(S13)年
11月16日「天王寺駅 東線路部」の建設工事に着手。 - 1940(S15)年
9月28日「天王寺東線路部~昭和町」間の建設工事に着手。 - 1941(S16)年
11月17日「昭和町~西田辺~長居検車場分岐部」間の建設工事に着手。 - 1943(S18)年
3月31日「天王寺~西田辺」間、資材難により建設工事を実質的中断。 - 1950(S25)年
6月17日「高速車両工場分岐部~昭和町」間、建設工事を再開。 - 1951(S26)年
1月13日「昭和町~西田辺(北半分)」間、建設工事を再開。 - 1951(S26)年
12月20日
「天王寺~昭和町」間の開通により、昭和町駅が終着駅として開業。 - 1952(S27)年
10月05日「昭和町~西田辺」間が開通。昭和町駅は途中駅となる。
終着駅だった期間は約10か月の290日です!
年表を見ても分かる通りですが、昭和町駅開業以前から延伸部(~西田辺)の工事は始まっており、その点からも暫定的な駅であったことは分かります。
文献をいろいろ見た限りでは、あびこまでの開業を目指して「天王寺~昭和町~西田辺」間は一体的に計画されていたようです。ただし、昭和町までを先行開業した理由は分かりませんでした。
詳しくは書きませんが、戦争の影響で工事が中断になったり、資金・資材不足が工事に影響したりと何かと考えられる要素はありそうです。
また現在は、昭和町駅を起終点とするダイヤはなく、折り返し設備もありません。
第3位 心斎橋(長堀鶴見緑地線)261日
- 1991(H03)年
8月21日「心斎橋~京橋」間の建設工事に着手。 - 1993(H05)年
8月10日「大正~心斎橋」間の建設工事に着手。 - 1996(H08)年
12月11日「心斎橋~京橋」間の開通により、心斎橋駅が終着駅として開業。同時に、路線名が「鶴見緑地線」から「長堀鶴見緑地線」に改称されました。
- 1997(H09)年
08月29日「大正~心斎橋」間が開通。心斎橋駅は途中駅となる。同時に、「鶴見緑地~門真南」間も開通しています。
終着駅だった期間は約9か月の261日です!
年表を見ても分かる通りですが、心斎橋駅開業以前から延伸部(~大正)の工事は始まっており、その点からも暫定的な駅であったことは分かります。また長堀鶴見緑地線は「鶴町〜大正〜茨田(門真南)」間として構想・計画されていたので(正確には「京橋〜鶴見緑地」間開業間近に計画。)、その点からも心斎橋は永続的な終点になることはありませんでした。(よくよく考えれば御堂筋線でも長堀鶴見緑地線でも心斎橋は暫定的な終点になっているんですね。)
第一期事業「京橋〜鶴見緑地」間はかなり先行して進められましたが、第二期事業「心斎橋〜京橋」間と、第三期事業「大正〜心斎橋」間「鶴見緑地〜門真南」間はほぼ同時並行的に建設が進みました。
また心斎橋駅が終着駅だった期間は、心斎橋駅東にある引き上げ線に臨時的に分岐を設けて片渡り線として使用していたそうです。
第2位 谷町九丁目(千日前線)229日
- 1965(S40)年
7月20日「谷町九丁目~今里」間の建設工事に着手。 - 1967(S42)年
6月20日「桜川~谷町九丁目」間の建設工事に着手。 - 1968(S43)年
9月07日今里大橋下 建設現場で浸水事故発生。「鶴橋~今里~新深江」間のトンネルが水没する。
- 1969(S44)年
4月16日当初の「谷町九丁目~今里~新深江」間の開通予定日。事故の影響により開通延期。「野田阪神~桜川」間は同日に予定通り開通。
- 1969(S44)年
7月25日「谷町九丁目~今里」間の開通により、谷町九丁目駅が終着駅として開業。すでに開業していた「野田阪神~桜川」間とは独立して開業。ただし今後接続する計画があったため、どちらも5号線扱い。
- 1970(S45)年
3月11日「桜川~谷町九丁目」間が開通。谷町九丁目駅は途中駅となる。分断されていた「野田阪神~桜川」間と「谷町九丁目~今里」間が接続される。
終着駅だった期間は約7か月半の229日です!
年表を見ても分かる通りですが、谷町九丁目駅開業以前から延伸部(~桜川)の工事は始まっており、その点からも暫定的な駅であったことは分かります。また千日前線の「野田阪神~新深江」間は大阪万博に向けた緊急5か年計画に指定された区間で、万博開催までに完成させることが決まっていました。そのため谷町九丁目駅は最初から途中駅になる運命でした。
阪神・近鉄と並走する予定だった「桜川~谷町九丁目」間の調整に時間がかかったため、「谷町九丁目〜今里」間を既存線から独立して先行開業させたという経緯があります。
また「今里大橋下建設現場で凍結工法による浸水事故」で、この区間も一部浸水した影響を受け工事は遅延。本来1969(S44)年4月開業予定でしたが、7月開業になります。それもあって、続いて工事が始まった「桜川~谷町九丁目」間の開業日との期間が短くなったという背景があります。
第1位 今里(千日前線)47日
- 1965(S40)年
7月20日「谷町九丁目~今里」間の建設工事に着手。 - 1965(S40)年
12月28日「今里~新深江」間の建設工事に着手。 - 1968(S43)年
9月07日今里大橋下 建設現場で浸水事故発生。「鶴橋~今里~新深江」間のトンネルが水没する。
- 1969(S44)年
4月16日当初の「谷町九丁目~今里~新深江」間の開通予定日。事故の影響により開通延期。「野田阪神~桜川」間は同日に予定通り開通。
- 1969(S44)年
7月25日「谷町九丁目~今里」間の開通により、今里駅が終着駅として開業。すでに開業していた「野田阪神~桜川」間とは独立して開業。ただし今後接続する計画があったため、どちらも5号線扱い。
- 1969(S44)年
9月10日「今里~新深江」間が開通。今里駅は途中駅となる。
まさに圧巻の一位‼︎
終着駅だった期間は約1ヶ月半の47日です!
もちろん最後も、今里駅開業以前から延伸部(~新深江)の工事は始まっており、その点からも暫定的な駅であったことは分かります。
また第5位から第2位とは事情が異なるのですが、元々「谷町九丁目~今里」間と「今里~新深江」間は着工時期は異なるものの両区間は同時開業予定でした。つまり今里駅は途中駅として計画されていたのです。
ではなぜ途中駅となったかというと、これにも「今里大橋下建設現場で凍結工法による浸水事故」が影響しています。この事故によって開業が遅れたため、「谷町九丁目~今里」間を優先的に復旧。先行して開業しました。ただ同時開業の予定で工事が進んでいため、ほんの1か月半の差で開業したのです。
ちなみに、途中駅として計画されていた今里駅が、一時的とはいえ終端駅として開業されることになったのって違和感ありませんか?
普通に考えれば、「新深江駅までの復旧を待てばええやん!」となりますよね。わざわざ途中駅で計画していた駅を終端駅に改造するなんて、修復に加えて工費がかさむだけでは?となりますが、もちろんこれにも理由があります。
それは、今里駅は今後の運行計画に備えて引き上げ線を設置していたからです。といっても今里で折り返す運用ってほとんどないんですよね。引き上げ線使うのって主に夜間留置の時なのd…
この区間について、凍結工法の浸水事故については、他の記事でもクローズアップしています!
参考文献
大阪市交通局「大阪市地下鉄建設五十年史」
大阪市交通局「大阪市地下鉄建設70年のあゆみ : 発展を支えた建設技術」
石本隆一「大阪の地下鉄」産調出版
なにわの地下鉄「御堂筋線」(最終閲覧日2021/05/09)
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