地下鉄を営業する上で必要不可欠な電気。電車を動かすために電気を使うのはもちろんのこと、照明やエアコン、信号設備に通信設備など、現代地下鉄の営業は電気のおかげで成り立っていると言っても過言ではありません。
そんな電気を、発電所から受け取り、電車やそれぞれの設備で使えるように変換し、送り届ける施設を「変電所」といいます。
大阪メトロには変電所が箇所も設置されていて、地下にあったり、地上にあったり、その場所は様々です。そんな変電所の中でも、一際異彩を放つ大阪メトロの変電所、「曽根崎変電所」を今回は見ていきます。
曽根崎変電所を見てきました
そもそも曽根崎ってどこ?
曽根崎(正式には曾根崎)は東梅田駅の東側の地域で、露天神社(お初天神)などがあります。なので梅田周辺だと捉えていれば大丈夫です。
ただ曽根崎変電所の住所は西天満に属しています。「曽根崎ちゃうんかい!」って声が聞こえてきそうですが、実は曽根崎変電所が建設された1936(昭和11)年当時は、西天満という地名は曽根崎永楽町だったようで(ソース不明確)、一応曽根崎にある変電所でした。
曽根崎変電所は1936(昭和11)年に竣工。厳密には現在の曽根崎変電所は2代目で、1911(明治44)年に竣工した初代曽根崎変電所に対して、市内北部の饋電線(架線のさらに上にある電線)の負荷対策や、近隣への防音対策の面から移転してできたのが、現在の曾根崎変電所です。
開業当初は大阪市電(路面電車)用の給電施設だった曽根崎変電所ですが、地下鉄開業時(1933(昭和09)年)には、地下鉄の停電時の予備給電施設としての役割も持つようになりました。(地下鉄開業当時はまだ初代)
また1962(昭和38)年には、御堂筋線の8両編成化に伴う負荷増に対応するため、機器を増設して地下鉄用の給電を始めるようになりました。以後、市電廃止後も御堂筋線の給電施設として、現在も活躍しています。ちなみに無人変電所です。
1966(昭和42)年から3階に電力指令所が設置され、日本初となるコンピューターを使用した、地下鉄用変電所(16ヶ所)の制御・監視を開始しました。その後の地下鉄拡張に伴って、最終的には45ヶ所の変電所の監視制御を行うまでになりましたが、1991(平成03)年に老朽更新のために電力指令所は廃止、森ノ宮へ移設されました。
このように、大阪市営交通の黎明期より活躍し続ける曽根崎変電所。今回はこの施設を見てきましたよ!
曽根崎変電所を見てきました!
場所は梅新南交差点のすぐそば。アメリカ総領事館なんかも目の前にあります。御堂筋と新御堂筋の結節点で、梅田駅よりは淀屋橋駅から歩いた方が早いかな、という立地です。
大阪のメインストリートである御堂筋に面する建築物の中では際立って歴史を感じます。たぶん一目でわかる。
手前に建物がなく駐車場であるおかげで、建築物がしっかり見えます。
「所 電 變 﨑 根 (そ)」とあります。右から読むタイプですね。
(そ)、﨑、變については現在公式で用いられている正式名称とは異なる字で記されています。(※(そ)については(曽)でも(曾)でもない、簡体字になっています)
大阪地下鉄の変電所の中でも、一際意匠に優れた変電所だと評されることもあります。
そのデザインコンセプトは「船」だそうで、御堂筋を川に見たてて、それを渡る船としてデザインされたそう。
ちなみに、この外観から気づかれる方は誰一人いないと思いますが、実は3階建ての建造物です。
右側の丸い窓や、その下の扉、外壁から、風格や歴史を感じられます。
二つある門には共通して門前での駐車禁止の案内がありますが、一方は警察署と大阪市高速電気軌道株式会社(Osaka Metroの現社名)の名がが記されており、もう一方は未だに大阪市交通局の名が記されています。
なぜ一方しか社名訂正してないの??と思ったのですが、交通局側はノリかテープかが剥がれたような跡があります。訂正したのに落ちたのか剥がされたのか、それとも…
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参考文献
大阪市交通局「大阪市交通局五十年史」
大阪市交通局「大阪市地下鉄建設五十年史」
大阪市交通局「大阪市地下鉄建設70年のあゆみ」
standards「ワンダー JAPON ③」(電子書籍、紙書籍ともに販売中のようです)
当書籍では曽根崎変電所の超独特な内部までも掲載されており、非常に興味深い内容になっています!
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