地下鉄を作るために掘った土はどこへ行ったのでしょうか。
当たり前のはなしですが、地下鉄は地面を掘って作られます。地上から真下に穴を掘って地下道を作る場合は、地下道の上に土を埋め戻すこともありますが、それでもどうしても土が余ってしまいます。
工事をした結果余ってしまった土は「残土(建設発生土)」と呼ばれ、この残土処理は時にメディアで問題にあげられています。少量の土なら大阪市では普通ごみとして捨てられますが、地下鉄工事で余った土なんて超大量なので、まとめて捨てることもできません。
大阪府では、そんな残土を海に捨てることで有効活用しているそうです。捨てると言ってもむやみに捨てているのではなく、大阪湾を埋め立てて新しい土地・人工島を増やしています。南港や舞洲、夢洲などがいい例で、さらに昨今は新しい人工島も造られているとか…
一方で、海に捨てて土地を増やすのではなく、「土を盛って山を作ろう!」という、まるで子どもの頃に砂場でしていた遊びを、大人が一大プロジェクトとして実施していたことも過去にあったそう。
今回はその最たる例、大阪市営地下鉄の工事の残土を盛って造られた人工の山「昭和山」に行ってきました!
昭和山に行ってきた!
地下鉄はないけれど
大正区の中心にある千島公園の中に昭和山はあるそう。大正通に面しており、大正区役所の目の前です。
大阪メトロもとい鉄道が走っていない地域で、大阪シティバス「大正区役所前停留所」(大正駅より約8分)が最寄りになります。
地下鉄は走ってないのに地下鉄の残土だけがある、ってなんとも決まりが悪いような…。
大正通沿いの公園入口に来ました。見えにくいですが左の石垣に公園の名前が刻まれた銘板があるので、正面入口なのだと思います。
銘板は暗くて見えにくいですが、天気は明るくていい日でした。ラッキー。
正面入口(?)からまっすぐ歩くと徐々に坂道となり、正面に「昭和山」の銘板が現れました。「和」が半分隠れてますけどね。
裏側には昭和山の由来について刻まれています。
昭和山の由来
天保二年、安治川の川ざらいの土を
盛って天保山を築き出船入船の
目標と市民遊覧の地とした
百三十九年後の今日都市再開発
の一環として地下鉄を掘った土を
盛ってここに港の見える丘を築き
天保山の故事に因み昭和山と命名した昭和四十五年十一月三十日 大阪市
こちらにも地下鉄の残土でできた山であることが記されています。
昭和に造られた山で「昭和山」、という由来はなんとなく察しがついていましたが、天保山の由来をなぞって命名されていたんですね。
港の見える丘
その後も坂道を上っていき頂上に着きました。坂道に書かれている「600M」は標高ではなく坂道の長さです。実際の標高は33mです。
頂上からうずまき状に3つの坂が伸びてるみたいです。
木津川運河、千歳運河・大正内港で3つに分断されている大正区を表しているのでしょうね。知らんけど。
頂上からの眺めが良すぎる!
景色を遮る人工物はなく、大阪港を一望できる絶景!
天気も相まってとても気持ちよかったです。
正面に見える橋は千歳橋、なみはや大橋、港大橋(阪神高速)、さらにその奥にはさきしまコスモタワー(大阪府咲洲庁舎)も見えます。
大阪港を眺めることができる、まさに「港の見える丘」です。
別の方角を見ると、あべのハルカスも見えました。さすが日本一の高さを誇るビルだけあって、とても目立っていますね。
右に見えるのはあべのグラントゥール、40階建てのタワマンです。手前の電波塔は、NTTコミュニケーションズ今宮ビルと呼ばれているようで、花園町駅の近くに立っています。
最後に、頂上に設置されていた昭和山の解説です。
昭和山
千島新田は、東成郡千林村(現旭区)の岡島嘉平次により、明和5年(1786年)から順次開発されました。地名は千林村の「千」と、姓の岡島の「島」をつなぎ合わせて「千島新田」と命名されました。
大正時代の千島町一帯は、西区から移転してきた木材業者により、関西随一の木材市場となり、木材の集積のため、木津川と尻無川を結ぶ大正運河(延長1,963m・幅45m)が大正12年に完成しました。住之江区の平林貯木場へ移転するまで、この運河を中心に貯木場として利用されていました。
昭和44年9月に発表された「千島計画」は、区のほぼ中央、もと大正運河や貯木場のあった千島町一帯に「港の見える丘」を造るという大規模な計画でした。この人工の山は地下鉄工事の残土など、約170立方メートル(ダンプカー57万台)の土砂で造られ、標高33mで「昭和山」と命名されました。
千島公園(11.2ha)の中心に位置するその頂上からは、六甲や二上、葛城、金剛、和泉の山並みとともに港大橋、なみはや大橋、千歳橋、新木津川大橋、千本松大橋などが眺められ、麓には「せせらぎ」も整備され、その恵まれた自然は区民の憩いの場となっています。
千島計画が発表された昭和44(1969)年は、大阪万博が開催されるの前年です。当時は万博開催を前に急ピッチで地下鉄網の整備が進んでいた頃でした。どのくらい大量の残土が発生していたのかは想像もつきませんが、その一部を上手く活用したのでしょう。
標高33m(開発当時は35m)を誇る昭和山は大阪市内で最も高い山だったそうです。過去形なのは、昭和58(1983)年に造られた鶴見新山(39m)が一位をかっさらっていったから。ちなみに鶴見新山も地下鉄工事の残土が使われています。
ということで今回は、大阪市営地下鉄の工事の残土を盛って造られた人口の山「昭和山」を紹介しました。
自然の中から都会の街並みを見下ろすことってそうそうないので、とても新鮮な気持ちになれる場所でした。こんな素敵な場所があるなんて知りませんでしたし、また行きたいなと思います。みなさんも癒されに行ってみてはいかがでしょうか!
参考文献
大阪メトロ「アルキメトロ 2021年夏号」
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