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今日7月29日は、中央線東線の森ノ宮~深江橋間の開業日です。
中央線の東線が延伸開業!
千日前線と同様に、中央線も東西分断されていた時期がありました。
1961年12月11日 | 大阪港~弁天町間 開業 |
1964年10月31日 | 弁天町~本町間 開業 |
1967年9月30日 | 谷町四丁目~森ノ宮間 開業(既存路線とは独立) |
1968年7月29日 | 森ノ宮~深江橋間 開業 |
1969年7月1日 | 本町駅(本駅)開業 |
1969年12月6日 | 本町~谷町四丁目間 開業(東西線が直通) |
1985年4月5日 | 深江橋~長田間 開業 |
1997年12月8日 | 大阪港~コスモスクエア間 開業 (当時はOTSテクノポート線で2005年に中央線に編入) |
約2年間分断されていたわけですが、どちらも4号線扱いでした。別路線として計画していたわけではないのです。
分断されていた理由は2つあります。
1つは本町~谷町四丁目間は事業費が多額になるために建設省が許可を出すことを渋った。船場と呼ばれるこの地域は問屋が密集していて、用地買収などに多額の費用がかかったようです。もう1つは、当時東梅田~谷町四丁目間で営業していた2号線(現 谷町線)の車庫として森之宮検車場(漢字注意!×森ノ宮)が必要だったために車庫の入出庫線もかねて谷町四丁目~森ノ宮間が先行建設されたようです。
開業当時、深江橋駅は半分も完成していなかった
大阪メトロではたまにあることですが、深江橋駅は1968年の開業時には西側の80m分のホームしか完成していなかったようです。当時は2両編成で運行していたので、一応ホームの長さは足りていました。
なぜ途中までしか完成していなかったかというと、建設当時には2方面への延伸計画があったようです。
・大阪港~深江橋~放出方面
・大阪港~深江橋~石切方面
深江橋駅が分岐点になる予定だったため、どちらに延伸するかによってホームの形を変えるつもりだったのでしょう。(放出方面に延伸していればホームが内環状線に向かってカーブしていたのかも)
最終的に放出方面の建設特許は森ノ宮~深江橋間の工事中に失効したため、そのタイミングで残る東側ホームも建設が始まりました。深江橋駅開業に1年4か月遅れた1969年12月6日、6両編成に対応したホームが完成し、その後中央線は石切方面へと延伸することになりますが、それはまた別のお話…。
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コメント
[…] 1979~1983年の間に撮影された空中写真です。中央に見える駅は朝潮橋です。そして横には港検車場が見えます。港検車場は1961年の中央線開業に伴って開設した。検車場としては珍しく高架式の検車場でした。1969年の中央線の東西線直通に伴って検車場としての役割は森之宮検車場に変わりましたが、その後も1972年までは車両塗装施設として使用されていました。 […]
[…] 1979~1983年の間に撮影された空中写真です。中央に見える駅は朝潮橋です。そして横には港検車場が見えます。港検車場は1961年の中央線開業に伴って開設した、検車場としては珍しく高架式の検車場でした。1969年の中央線の東西線直通に伴って検車場としての役割は森之宮検車場に変わりましたが、その後も1972年までは車両塗装施設として使用されていました。 […]